自己とは何ぞや

市からの保険証と、税金のハガキ。

保険証は「国分 誠」。
でも“分”だけ手書き。(もうちょっと上手に書いてほしい)
ハガキは「国 誠」。
“分”がない😹

八王子に越してきて、
市役所で手続きをしたあとに届いたもの。

で、
未だに手書きのまま😅

そのうち直るかなと思っていたけど、そのまま。
そして気づけば、
その保険証も使われなくなり、
マイナンバーカードへ移行。

大事だと思っていたものが、
気づけば、役目を終えている。

「そのうちちゃんとする」
「いつか整う」
そう思いながら、保険証だけではなく、
大切なものを見過ごして生きてきた気がします。

今朝、保険証に関するニュースが流れていた。
使えなくなったはずのものが、
別の形で使われている?

正しいとか、間違っているとか、
簡単には言えない中で、
ふと、
自分の姿が重なる。

私は今日も、
“いい人になろうとする私”になりすまし、なんとなく保ちながら生きています。

そして、自分だけ良ければ人はどうなっても構わないと、自分の歯だけを心配してあと、何回通うんだろう…と

CAD/CAM冠は7000円くらいするみたい…高い…

でも、行かないわけにはいかない。

治療が終わってもまた振り出しに戻るだけ。また虫歯になり歯医者へ。

風邪が治っても、また風邪をひく前に戻っただけ。生きると言う問題も、食べなくても死ぬけど、食べても死ぬ。

根本的な問題は何だろう。

「自己とは何ぞや。これ人世の根本的問題なり。」
清沢 満之(きよざわ まんし)(『清沢満之全集』第8巻 p.363)

マイホーム化

何これ〜嘘でしょ…

道産子のわたくし、竹藪を見るとテンションが上がります。
初めて見た京都の竹林の美しさは、一生忘れないと思います。

そして本日、
ご近所さんが「昼採れ」の竹の子を持ってきてくださいました。

でかい。びっくり仰天。
これもまた、一生忘れない竹の子かもしれません。

そのまま庫裡の台所で、下処理までしてくれました。

正直、少しだけ抵抗がありました。
ここは“庫裡の台所”だからです。

けれど、坊守とワイワイやりながら、ふと気づきます。

お寺は、私のものではない。
庫裡もまた、本来そうなのだと。
(完全にマイホーム化しておりますが😹)

見えるところは整えている。
けれど、見えないところはどうだろう。

見えるところは綺麗にして、
見えないところはそのままにしている。

それをそのまま白状すること。
それが、凡夫の姿ではないでしょうか。

立派に見せているだけで、
本当は立派ではない。

だからこそ、念仏申す身であり、
だからこそ、坊さんをしているのだと思います。

叔父が住職だった頃、
お寺にはいつも人が出入りし、
庫裡の居間には笑い声がありました。

今はどうだろう。

時代のせいだけではなく、
私自身が、出入りしにくい空気を
つくっているのではないか。

「お寺はみんなのものです」と言いながら、
どこかで私有化し、閉ざしている自分。

ご門徒を「同朋」として、
本当に出会えているのか。

言葉に耳を傾けているのか。
一人ひとりを、信頼しているのか。

竹の子を下ごしらえしてもらいながら、
そんなことを考えていました。

むーちゃんもチョコちゃんも、
逃げずに大人しくしていました😊

もしかしたら、
保護猫活動をされている方だからかもしれませんにゃ😸