葬儀の簡略化は、「終活」ということの中で、「子どもに迷惑をかけたくないから」とよく言われます。遺された家族や近親者が、いざという時に困らないようにしておくのは大切なことです。しかし、それは迷惑をかけることではありません。「誕生」も「死」も、お互い支え合って、はじめて成り立つのですから。(本文より)
果たして人は迷惑をかけずに生きていけるだろうか。
「人は2度死ぬのだから、精一杯迷惑をかけてください。とことん迷惑をかけておけば、忘れられませんから」
と、言う言葉が忘れられません。



葬儀の簡略化は、「終活」ということの中で、「子どもに迷惑をかけたくないから」とよく言われます。遺された家族や近親者が、いざという時に困らないようにしておくのは大切なことです。しかし、それは迷惑をかけることではありません。「誕生」も「死」も、お互い支え合って、はじめて成り立つのですから。(本文より)
果たして人は迷惑をかけずに生きていけるだろうか。
「人は2度死ぬのだから、精一杯迷惑をかけてください。とことん迷惑をかけておけば、忘れられませんから」
と、言う言葉が忘れられません。



こういうのを見ると、「#僧衣でできるもん」が思い出されますね😹🙏
2018年9月、僧侶が僧衣で軽自動車を運転し、福井県警から青切符・反則金6,000円を告知されました。
当時の福井県の細則には、
「下駄、スリッパその他運転操作に支障を及ぼすおそれのある履物または衣服」
という規定があり、僧衣の袖や裾が運転操作の妨げになるおそれがある、と判断されたそうです。
これに宗派側も「到底受け入れがたい」と反発。
そして全国の僧侶たちに広がったのが、
「#僧衣でできるもん」
でした🙏😹
最終的に福井県警は、
「証拠の確保が不十分で違反事実が確認できなかった」
として送致しないことに。
つまり厳密には、
「僧衣での運転は合法」という司法判断が出たわけではなく、この僧侶について違反事実を確認できなかったため、処理を取りやめたということです。
さらに興味深いのが、その後の福井県。
現在の規則では「衣服」という文言が消え、現行第16条3号は、
「下駄、スリッパその他運転操作に支障を及ぼすおそれのある履物」
となっています。
とはいえ……
雪駄はグレーゾーンには変わりないですな😹
「僧衣だからダメ」
「雪駄だからOK」
と全国一律に単純化できないのは、道路交通法そのものというより、各都道府県の道路交通規則・施行細則で定められているため。
「運転操作に支障を及ぼすおそれのある服装・履物」をどう判断するのか、現場の判断も含めて差が出てしまうので、なかなかややこしいのであーる😹
それにしても、
「#僧衣でできるもん」でドラムを叩いていたのが懐かしい🥁😊
とにもかくにも、全国の僧侶の皆さん、お盆参りお疲れ様です🙏
どうぞ、ご安全に‼️
僕も昔はカブで回ってたな〜🙏😹

昨日、メッセージカードをお渡ししたスタッフさんから、
「前にも違うところでいただいたカード、大切にスマホケースに入れて持ち歩いてるんです😊」
と、見せてくれました。
まさか、ずっと持っていてくれたとは🥹🙏
そして今回お渡しした2枚目も、
「これも大切にします。御守りにします😊」
と😹✨
御守りを作ったつもりはないのに、
御守りになっていたとは🙏
ほんの小さな一枚のカードでも、
そこに込めた言葉や想いは、
自分の知らないところで誰かの心に残っているのかもしれません。
こちらの方が、嬉しい言葉をいただきました😊
「実はこれ、坊守が書いてるんです」
と言ったら、
「それなら尚更嬉しいです😊」
と😹✍️✨
その昔、毎月『同朋新聞』を月忌参りでお配りしていた頃のこと。
あるお宅へ伺うと、先月お渡しした『同朋新聞』が、ぐちゃぐちゃになって花瓶の下敷きになっていました😹
一生懸命お渡ししても、
読むか読まないかは、その方にお任せの世界。
任せられたら楽になる。
任せられないから苦しくなる。
メッセージカードも、9割くらいの方が感謝の言葉をくださいます🙏
でも時々、
「受け取った方も、処分に困ってるんじゃないかな〜😹」
なんて思うこともあります。
以前には、
「葬儀社の事務室に、メッセージカードが大量に保管されてましたよ😹」
と教えてくれたスタッフさんもいました。
スマホケースに入れて御守りにしてくださる方もいれば、
事務室に保管されるカードもあり、
もしかしたら、そのまま処分されるカードもあるでしょう。
それでいいんだと思います🙏
こちらは、ご縁をいただいた感謝を込めてお渡しする。
その先は、お任せ。
受け取るもお任せ。
読むもお任せ。
残すもお任せ。
捨てるもお任せ。
「どうか大切にしてください」ではなく、
「受け取ってくださって、有難うございます🙏」
そこまでが、私たちにできることなのかもしれません😊
「南無」とは、帰依します、帰命しますということ。
自分の思い通りにしようと握りしめるのではなく、
お任せしていく。
任せられたら楽になる。
けれど、なかなか任せられない私がいる。
そんな私だからこそ、
南無阿弥陀仏🙏
なのだと思います。


