平野修先生は魔ということについて、「弱点を見つけ出し、そこを襲撃してくるもの」とおっしゃいます。
ある、PTA会長になった先輩の言葉ですが、
「朝までかかって卒業式の挨拶を書いていたその間、自分は何をしていたのかというと、子どもたちの将来を、あるいはこれまでの歩みを、それを支えてくださった人々を念じていたわけではありませんでした。ただただ、さすが住職だと、あの人なかなかな人だと言われたいがために、その文章の弱点を見つけ出し取り除いて、これで大丈夫だと言えるものにし続けていたように思います。そしてどうなったかと言うと、私の後にご挨拶に立たれた校長先生が「今の挨拶の後、何を言ったらいいかわかりませんが」そうおっしゃったのでした。気づかないうちに周りを圧迫していたのです。この校長先生とは長い付き合いで、本当にお世話になったことでありますが、考えてみれば一度も本当に出会うということはなかったような気がいたします。これが僧侶としての、私と地域とのひとつのかかわりでありました。魔というのは弱点を見つけ出して襲撃する、つまり、不快なもの、都合の悪いものを取り除いて、これで大丈夫だと言おうとするものです」
と、いう事を教えていただきました。









