「法話って、落語の新ネタ披露じゃない」
開教所には、いわゆる直参の御門徒さんがいません。
維持費をいただいている「檀家さん」がいない、ということです。
でも、維持費をいただいているかどうかに関係なく、仏法を聞くご縁によってつながっている方々を、私は「御門徒さん」といただいています。
お金によるつながりではなく、仏法によるつながりです🙏
最近、以前お勤めさせていただいたご家族・ご親戚から、再びご葬儀のご依頼をいただくことが続きました。
「前回の法話がとても良かったので、またお願いしたい」と。
有り難いお言葉です🙏
……が、同時にものすごいプレッシャーです🙏💦
「さて、今度は何を話そう」
「前と同じ話ではダメかな」
「いや、前の話が良かったということは、同じ話を聞きたいということなのかな」
いろいろ考えさせていただきました。
でも考えてみれば、法話は落語の新ネタ披露ではありません💦
毎回違う、話を用意することが法話ではない。
お勤めだってそうです。
毎朝、毎夕、同じお経をいただく。
同じ「南無阿弥陀仏」を何度も何度も称える。
同じ言葉であっても、聞いている私が同じではありません。
昨日聞いた言葉と、今日聞く言葉。
元気な時に聞く言葉と、大切な人を亡くした時に聞く言葉。
同じ言葉なのに、まったく違って聞こえることがあります。
だから大切なのは、
「今日は何か新しいことを話そう」ではなく、
「今日も大切なことを聞かせていただこう」
なのかもしれません🙏
法話をする私も、聞いてくださる方も、ともに仏法を聞かせていただく御門徒。
そう考えると、直参の御門徒さんがいない小さな開教所にも、少しずつ少しずつ、仏法によって結ばれた御門徒さんが増えているのかもしれません。



