竹の子

ご近所さんから、朝採れの竹の子をいただきました🙏

去年は出なかった竹の子が、今年はドーン😄

地下でコツコツ準備してたんですね🙏

見えない努力、大事😏✨

ご馳走さまでした🙏😄

お勤め

あまり最近は言われなくなったけど、

『丁寧ですね』
『綺麗な声ですね』

そう声をかけていただきました🙏

その一言に、
また育てられている気がします。

そして一番響いているのは、
たぶんこの私です🙏

ツツジ

ツツジの美しさに目を向けたいところですが、
花粉症で目は痒く…😹
それでも今日も、目の前のご縁を大切に丁寧に🙏

剪定

ご近所さんが、ご近所さんのお庭の剪定をしている。
そんな何気ない光景に、ふと心が和みました。

特別なことではないけれど、
こうして自然に手を貸し合う姿に、
大切なものがあるように感じます。

剪定した枝を見ていたら、
「しきみに似てるから、いつでも使っていいよ」と。

人の手から人へと渡るものの中に、
あたたかい気持ちも一緒に添えられているようでした。

こういうご縁に支えられて、
日々が成り立っているのだなと感じます🙏😌

アインシュタイン

アルベルト・アインシュタインに、こんなお話が伝わっています。

教室で黒板にかけ算を書いていきました。

ほとんどは正しく書かれていましたが、
最後の一つだけ、わざと間違えたのです。

すると生徒たちは、その一つの間違いを見て笑いました。

そのとき彼はこう言います。

「私は9つ正しく書いた。
しかし誰もそこを見なかった。
ただ1つの間違いだけを見た。

これが社会だ。」

⸻

この言葉は、他人のことだけではなく、
実は「私自身の姿」をも照らしているのではないでしょうか。

私たちは、人の間違いにはすぐ気づきます。
しかし、その人が積み重ねてきた歩みや努力には、なかなか目が向きません。

それは同時に、
自分自身に対しても同じではないでしょうか。

できていないことばかりを見て、
できていることを認めることができない。

⸻

仏教では、私たちを「煩悩具足の凡夫」といただきます。

つまり、間違いをなくすことのできない存在だということです。

だからこそ、

「間違わないように生きる」のではなく、
「間違いの中で問われながら生きる」

そのような生き方が開かれているのではないでしょうか。

⸻

「間違いはプロセスの一つである。
何もしない人だけが、間違いをしない。」

この言葉を聞くとき、

私はこういただいています。

「動きなさい」ということではなく、
すでにご縁の中で「動かされている身である」ということ。

⸻

私自身、開教所を開くとき、
大きな不安がありました。

それでも一歩踏み出したのは、
自分の力というよりも、
ご縁によって動かされてきたのだと感じています。

その中で、法話会や子ども食堂、坊主バーという形で、
さまざまなご縁をいただいてきました。

うまくいかなかったこともたくさんありますし、
今もなお手探りの中にあります。

しかし、その一つ一つが、
「私とは何か」を教えられる出来事でもありました。

⸻

「今さら」ではなく「今から」でもなく、

「今、この私が問われている」

そのように受け取ることもできるのではないでしょうか。

これからの歩みの中で、
これまでの自分の姿が、あらためて見えてくるのかもしれません。

⸻

誰かの間違いを笑うのではなく、
その歩みを共に受け止めることができる私でありたい。

そして、自分自身もまた、
間違いの中で問われ続ける身として、生きていきたい。

そのように思わされるお話であります。

「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ。」

「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ。」
―『蓮如上人御一代記聞書』

昭和法要式が破れて、どれくらい経ったでしょうか。
ここ数ヶ月のことです。

本尊も今は掛けるものではなく、置く形になりました。
「掛けやぶれ」という言葉も、どこか遠く感じる時代です。

けれど、
本当に“破れている”のは、何なのでしょうか。

形なのか。
それとも、私の受け取り方なのか。

ふと外を見ると、
大きな木が、新緑を広げていました。

「この木なんの木、気になる木」なんて思いながら眺めていると、
その胸元には、小さないのちがひとつ。

どこからやって来たのだろう。

どちらも、同じように生きている。

小さないのちも、
大きな木も、
そして、この私も。

ちっぽけな人間だからこそ、
大きなものに心を動かされ、
小さなものに気づかされるのかもしれません。

「よみやぶる」とは、
ただ読んで破ることではなく、
自分の思い込みが破られていくこと。

今日もまた、
少しだけ、やぶられていきたいと思います。

育てられる

「“いい人になろう”としているうちは、見えないものがある。」

かつて信國淳先生は、こう言われました。

「わかってもわからんでもいいから、お念仏申しなさい。そして、お念仏によって育てられなさい。」

では、「育てられる」とはどういうことでしょうか。

私たちは、すぐに勘違いをします。

仏教を学べば、

もっと賢くなれるのではないか。
もっと立派になれるのでなないか。
もっと優しい人になれるのでなないか。
人よりマシな人間になれるのではないか。

でも、それは本当に
「育てられる」ということなのでしょうか。

日々の出来事を通して、

「あなたは、どう生きていますか」
「煩悩具足のままのあなたで、生きていますか」

と生活を通して、如来の問いかけを聞く者となることであり、お念仏は、
“いい人になるための道具”ではありません。

もちろん、清く正しく美しくなれる事には越したことはありませんが、どんなに変わろうとしているつもりでも、
本当は、自分から目をそらしているだけかもしれません。

うまくやろうとして、
ちゃんとしている“つもり”でも、

結局いつも、
自分の都合で物事を見て、
自分の都合で人を判断して、
自分の都合で生きている。

その私が、ここにいる。

ごまかしている私を、
言い訳している私を、
そのまま照らし出すはたらきです。

「あなたは、それでいいのか」

そう問われ続けているのに、
聞いていないふりをしているのも、この私です。

だから——

まずは、このどうしようもない私を、
そのまま引き受けて生きていく。

強くなるためでも、
誰かに勝つためでもない。

そこにしか、
念仏に育てられる道はないのだと思います。

南無阿弥陀仏🙏

御供えもの

いただいたお供物は、まず仏さまへお供えいたします🙏

先日、ご法事でのこと。
仏花を持参された施主さんが、「あれ?どっち向きだろう」と戸惑われていました。

とても大切なことだなと思いました。

一般的には「仏さまに捧げるもの」と思われていますが、
浄土真宗では少し受け取り方が違います。

もし本当に仏さまに向けて捧げるのであれば、
仏さまの方に向けて飾るはずです。

しかし実際は、お花もお供物も、私たちの方に向けて供えられています。

それは、仏さまが私たちに何かを伝えようとしているからです。

たとえばお花。
どんなに美しく咲いても、必ず枯れていきます。

その姿を通して、
「諸行無常(すべては移ろいゆく)」という道理を教えてくれています。

だからこそ、浄土真宗では造花ではなく生花を大切にします。

また、蝋燭は智慧の光、
お線香は平等のはたらき、
御仏飯は“いのちをいただいて生きている”ということを表しています。

そして大切なのは「お下げすること」。

お供えを下げていただくということは、
仏さまから“いのち”をいただくということでもあります。

上げっぱなしにするのではなく、
きちんといただくところまでが、お供えの意味です。

だからこそ、
上げること以上に「下げること」が大切なのです🙏😌✨

帰る場所

「あれ?何しに来たんだっけ?」

この感覚、ありませんか?

隣の部屋に何かを取りに行って、
行った瞬間に忘れる。

私はしょっちゅうあります😄

でも不思議なことに、
元いた場所に戻ると、思い出すことがあるんですよね。

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もしかすると私たちは、

もっと大きなことで、
同じことをしているのかもしれません。

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「おぎゃー」とこの世に生まれてきた時、
本当は何かを願って、何かを求めて生まれてきたはずなのに、

気づけばそれを忘れて、
目の前のことに追われて生きている。

⸻

「私は何のために生まれてきたのか」

その問いを持ちながらも、
戻る場所も分からず、迷いながら生きている。

⸻

その“戻る場所”が、
お寺であり、手を合わせるお内仏の前なのだと思います。

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今日は御門徒さんがお参りに来てくださいました。

特別なことがあるわけではなく、
ただお参りに来てくださる。

その姿に、
「戻る場所」がここにあることを、改めて教えていただきました。

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お寺は、何かがあった時だけ来る場所ではなく、
「なんとなく来てしまう場所」であってもいい。

静かな時間の中で、
少し手を合わせて、少し心が落ち着く。

そんなひとときになっていただけたら嬉しいです🙏😌

隠れ念仏

どうも、坊主バーの寺子屋〜ひよこ〜です🖖

最近は、知る人ぞ知る存在になってきて
隠れ念仏のように、ひっそりとやっております😌

深夜食堂でも始めようかな。
それとも、探偵はBARにいるか。

…いや、坊主はカウンターにおりますが😄
(探偵がいたら逆に入りづらいですよね笑)

映画にすぐ影響される体質ですが、
仏教もまた、出遇って影響を受けていくもの。

されているのか、いないのか。
それに気づけなくなったら、少し寂しいですね🙏

気づけば、2年目に入りました。
これからも、ひっそりと続けていきます😌