「“いい人になろう”としているうちは、見えないものがある。」
かつて信國淳先生は、こう言われました。
「わかってもわからんでもいいから、お念仏申しなさい。そして、お念仏によって育てられなさい。」
では、「育てられる」とはどういうことでしょうか。
私たちは、すぐに勘違いをします。
仏教を学べば、
もっと賢くなれるのではないか。
もっと立派になれるのでなないか。
もっと優しい人になれるのでなないか。
人よりマシな人間になれるのではないか。
でも、それは本当に
「育てられる」ということなのでしょうか。
日々の出来事を通して、
「あなたは、どう生きていますか」
「煩悩具足のままのあなたで、生きていますか」
と生活を通して、如来の問いかけを聞く者となることであり、お念仏は、
“いい人になるための道具”ではありません。
もちろん、清く正しく美しくなれる事には越したことはありませんが、どんなに変わろうとしているつもりでも、
本当は、自分から目をそらしているだけかもしれません。
うまくやろうとして、
ちゃんとしている“つもり”でも、
結局いつも、
自分の都合で物事を見て、
自分の都合で人を判断して、
自分の都合で生きている。
その私が、ここにいる。
ごまかしている私を、
言い訳している私を、
そのまま照らし出すはたらきです。
「あなたは、それでいいのか」
そう問われ続けているのに、
聞いていないふりをしているのも、この私です。
だから——
まずは、このどうしようもない私を、
そのまま引き受けて生きていく。
強くなるためでも、
誰かに勝つためでもない。
そこにしか、
念仏に育てられる道はないのだと思います。
南無阿弥陀仏🙏


