「あなたにとって宗教は必要なのか」、「あなたにとって親鸞の求めたものは必要なのか」、「親鸞を答えにするな」
〜中略〜
「自己を問われる」とは。
悩みが縁として問いになることはあります。しかし、悩みを縁として、お金がないとか、彼女がいないとかいるとか、世の中で人殺しが多いとか、これは何だろうっていうことは、問いでしょう。親鸞聖人だってあの時代ですから、天災もあったし、人災もあった。のたれ死にする人もいる。しかし、親鸞聖人はそういうことについて一切言わない。
そういう時代に生きている私にとって、宗教、仏教は何なんだっていう問いです。だから、そういう問いを私たちは一般世界に問うべきではないですか。
〜中略〜
例えば、今「顕浄土」ということを言わないですね。世の中の道徳・倫理が不必要とは言いません。大事なのは、道徳・倫理を突き破ってくるような意味での問いですね。
〜中略〜
時代の要請っていうことですが、時代というものが宗教を必要としたら、それは必ずそういう時代の流れに取り込まれていきますから。時代が要請しようがしまいが、いかなることがあっても、そういうことではないのでしょう。例えば、儀式と言っても今は内容のない儀式だけでしょう。しかし、それを何とか、通夜を通し法事、月忌参りを通して、本当に私も悩んでいるけども、こういうことを求めんとならんだろうっていうことを確認できる場が教研でしょう。(畠山先生)




