沖縄の骨

今年もお盆の月になりました。八月で忘れてはならないのは日本の敗戦です。戦争の実体験のない私ですが沖縄に旅行した折、まだ二十才にもならないガイドの方が沖縄戦の歴史を涙をうかべて語られ頭が熱くなったことでした。きっとそのガイドさんはおじいさん、おばあさんから戦争の悲惨さを朝な夕なに話られたのを聞いたのでしょう。当時の沖縄知事が琉球新報に「これが沖縄戦だ」を連載され、それが出版されておりますが、仲宗根政事琉球大学名誉教授が序をかかれています。その序に天文学的数量の充弾がぶちこまれ瓦礫の死の街と化し、住民をまき込んで約25万人とも言われる死者を出した戦争はなんだったのかと問われる。

国を守るとは一体どういうことなのか。戦争はだれのためにそして何のためにやるのか。人はなぜ殺し合わねばならないのか。国を守るという大義名分で殺りくのかぎりを尽すことがはたして誰が誰を守ることになるのか。国あっての人でなく、人あっての国ではないのかと問いかけている。

ご主人を沖縄戦で失った作家の岡部伊都子さんは「沖縄の骨」という著物に次のように述べられる。人殺しはするな。軍事基地は無くせ。戦浄を無くせ。差列を無くせと生死を超えた骨たちが叫んでいる。どこのどなたの骨か。邦夫さんの骨か、入りまじりもろもろになって土になりつづけ叫びつづけているにちがいないと。更にこれまで骨かなしむ沖縄と言いつづけてきたが、この骨かなしむは生きている自分が無念に殺された骨をかなしんでいるという思いであった。しかし今回、はじめてその磨滅の骨から、こちらの方の成り行きが悲しまれているのではないか、と思い当った。くだけゆく骨がまだ生きている骨たちの行方がどうなるか心配されているという意しみの実感と言われる。

人間は大義名分、自己の行動を正前化するといかなる残虐な行為もしかねない。如来さまは自分の思慮分別は決してまちがいがないと思っていませんかと問題を投げかけてくれる。果してこの私が今年のお盆のお墓まいりでお骨からどんな叫びを聞きとることができるでしょうか。(東別院テレフォン)